本日は、肯定主義について書いて行こうと思います。
これは、かの「やる気スイッチの塾」で講師をしていた際に自分の糧になった一つの
教育方針です。それは、「肯定」すること。ただし、明らかに間違えていることなど、
人間的にマナー違反になることなどは同調せず、生徒の考え方を正しい方へ誘導して
行くように話を聞きます。ここでもあくまで「否定」はしません。
この肯定主義というものは、ただ、「否定」することだけは絶対にしないことを
意識していれば、意外と誰でもできることだと考えます。
私がしている「肯定」は勉強面では、生徒一人一人の頑張り方はできることは
当たり前ではあるが、皆異なります。だからこそ、それぞれの努力を平等に努力した
分だけきちんと「肯定」します。
これを意識しているためか、生徒からは「私は、よく先生に嫌われるのに、先生は違った
から嬉しかった。」「先生だけは、いつでも快く対応してくれた。」などと言われること
がしばしばある。さらには、私が担当する生徒は必ず成績は伸びています。
理由は単純で、「学習するのが楽しい」と思ってくれたり、「やった分だけ伸びた。」と
いう成功体験を経ていくため、クラス内順位や教科順位、学年順位、全国順位と生徒に
よって一部分だけでも上位層に食い込むことばかり起こる。
直近でいうと過去2年は、毎年、文系で3年生から「生物」で受験したいと言ってきた
生徒は「センター試験」で8割を超えていく。さらに今年は始めて理系も持ったが、
生物だけで全国模試で1位をとったり、「センター試験」では98点をマークしてきた。
結果から自信を持って言えるのは、生徒を認めることが生徒の学習意欲をあげ、
平等に「肯定」することが円滑に物事が進む近道だ。
私は生徒のやる気を出させることだけは、若輩者にしては抜きん出ていると勝手に自負
している。勉強をするのも試験を受けるのも結果を出すのも生徒である。生徒の獲得した
点数は生徒の努力であり我々のおかげではない。我々の仕事は如何に生徒自身で考えて
行動し、努力するきっかけを作ってあげられる授業作りや雰囲気作り、対応の仕方を
その時代に合わせながら考え続けることではないだろうか。
長々と書いてみましたjudgement_koukunでした!!
学校で勤務している中で感じたことを綴ります! 完全に自分勝手に綴っていますので悪しからず! 同時にInstagramでは、「生物」の解説をupしていきますので合わせて 見ていただけるとありがたいです!
2019年1月23日水曜日
2019年1月20日日曜日
暗記科目
本日は、暗記科目について書いていきたいと思います!!
ここで今回取り上げるのは、「生物」は何故、暗記科目と言われるのか。
何故、生物は理系ではないと言われるのか。正直に言って、理系の中でダントツで
難しい科目ではないかと最近、よく考えています。その話に入る前にまずは、表題に
ついて語ります!!
「暗記」とは、「覚えること」ですが、何故「覚える」のか、それは、単純に
知らないと、何も解けないから。理解できないから。そして、ダントツで生物は
知らないことが多い。何故か。日常的に使わないことがたくさんあるからだ。
化学や物理は確かに解くのは難しいが、やっていることは「計算」が主体だ。
そうすると幼少期からずっと「算数」や「数学」で様々な計算を学んでいるのだから、
やり方だけわかればあとは機会的にできる。それに引き換え、生物は、高校で本格的に
学ぶことが多数ある。よってまず「覚えること」がたくさんありすぎる。
そして、それを覚える程度で高校1年生で「基礎」が終わるため、暗記科目で終わる。
だが、よくよく問題を考えると、「覚えた」上で、「文章読解力」は必要であるし、
「化学的計算力」も「物理的計算力」も「数学的計算力」も当たり前のように使用
しなくては解けない問題が上位校に必要な学力である。
そう考えるとどうだろうか。「生物」は暗記科目なのだろうか。
英単語や漢字にも言えるが、何故「暗記」するのかと考えると「知らない」からだ。
知れば当たり前に使用しているが、それは知ったから使えているだけで、
この世の全ては「先人」の知識をまず「暗記」してから使っていることを考えると
「暗記科目」というのは、本来ないのではないだろうか。
生徒たちに「暗記科目」と考えさせている時点で、教師はいらないと考える。
何故なら暗記は一人でできる。だから楽しくもなんともない。
興味を持たせられる楽しいものを私たちは貪欲に求め続けて、こちらが授業して
やっているという精神をまず無くさなくては、この「暗記科目」という考えは
なくならないのではないだろうか。そのセリフを言われた教科はつまらないのだ。
と、語ってみました。このまま語ると、ただ長々としてしまうので、この辺で
終わらせます!!judgement_koukunでした!!
ここで今回取り上げるのは、「生物」は何故、暗記科目と言われるのか。
何故、生物は理系ではないと言われるのか。正直に言って、理系の中でダントツで
難しい科目ではないかと最近、よく考えています。その話に入る前にまずは、表題に
ついて語ります!!
「暗記」とは、「覚えること」ですが、何故「覚える」のか、それは、単純に
知らないと、何も解けないから。理解できないから。そして、ダントツで生物は
知らないことが多い。何故か。日常的に使わないことがたくさんあるからだ。
化学や物理は確かに解くのは難しいが、やっていることは「計算」が主体だ。
そうすると幼少期からずっと「算数」や「数学」で様々な計算を学んでいるのだから、
やり方だけわかればあとは機会的にできる。それに引き換え、生物は、高校で本格的に
学ぶことが多数ある。よってまず「覚えること」がたくさんありすぎる。
そして、それを覚える程度で高校1年生で「基礎」が終わるため、暗記科目で終わる。
だが、よくよく問題を考えると、「覚えた」上で、「文章読解力」は必要であるし、
「化学的計算力」も「物理的計算力」も「数学的計算力」も当たり前のように使用
しなくては解けない問題が上位校に必要な学力である。
そう考えるとどうだろうか。「生物」は暗記科目なのだろうか。
英単語や漢字にも言えるが、何故「暗記」するのかと考えると「知らない」からだ。
知れば当たり前に使用しているが、それは知ったから使えているだけで、
この世の全ては「先人」の知識をまず「暗記」してから使っていることを考えると
「暗記科目」というのは、本来ないのではないだろうか。
生徒たちに「暗記科目」と考えさせている時点で、教師はいらないと考える。
何故なら暗記は一人でできる。だから楽しくもなんともない。
興味を持たせられる楽しいものを私たちは貪欲に求め続けて、こちらが授業して
やっているという精神をまず無くさなくては、この「暗記科目」という考えは
なくならないのではないだろうか。そのセリフを言われた教科はつまらないのだ。
と、語ってみました。このまま語ると、ただ長々としてしまうので、この辺で
終わらせます!!judgement_koukunでした!!
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