2018年12月28日金曜日

私の評価基準

今日は、表題にあるように、実際に私が行っている評価基準・評価の仕方について

書いて行こうと思います。

まず、私は必ず生徒にどのように評価しているのかを自己紹介とともに開示します。

そこで、完全平等にしていることを把握させ、実際に成績を見た生徒がそれを改めて

理解し、そこに信頼が作られ、それ以降の授業がより良いものになります。

それでは早速開示します。

①試験の点数は7割に直します。

②3割は努力点とします。

以上です。

試験だけできていても意味がないし、人間的に育てることができない。

だから、将来生徒たちが就職に苦労する。なのに、教育者(先生や親などの大人)は

「なぜ約束を守るのか」「なぜ遅刻や欠席をしてはいけないのか」などという

当たり前のことを教えない。だから遅刻や欠席はなくならないし、遅刻や欠席をしている

生徒の考えは変わらない。

だからこそ私は②に重点をおく。ここで、これをさらに分解すると

②−1 出席点1割

②−2 課題点(問題集と授業冊子)2割

としている。そして、+αとして、それ以上に行っている努力点を微力ながらに加算する。

これらを私は+αを除いて全てエクセルの計算式に入れて無機質に成績をつけている。

基本的に感情は好みが大きく反映するため私は好まないし、これが本当の平等である。

ここで、自分の感情論だけを延々と続けても意味はないので、なぜ、こうしたかに

絞って書いておく。


試験がどうしてもできなくても人間性が高い生徒はたくさんいる。だから、そこを

報いたいというのもある。

なら他には何があるのかというと、社会に出て必要な「信頼を勝ち取る能力」

「仕事を期限までにきちんとこなす能力」「自力で自分を磨く能力」が身につくからだ。


出席をすることで、時間を守りきちんとその場にいることが当たり前になり、信頼を得る

ことが普通にできるようになる。


提出することで課題をこなす力ができるが、さらに問題集では自分だけではできないとき

周りに聞く力や自分で考える力を得ることができる。ただの放置では答えを見るだけに

なるので、そこは答えを見てもいいからその解説がわからないときは聞きなさいなどと

フォローを入れ、皆んなより努力が必要だがやるきっかけすら自分で捨ててしまう生徒に

やらせることができる。


次に授業用冊子では、自分できちんと話を聞き、メモをとったり、指示どうりに移したり

などを練習することができる。さらにここには自分の意見を書く場所を設けている。

そして、そこに書かれた改善点をなるべくこちらが飲み、実践し見せることで、自分の

意見が通り、やる気がさらに上がる。自分のではなくても周りの意見が通っているだけで

十分効果がある。


ここでなぜ+αをさらに見ているかというと日本人特有の「影の努力に対する美学」が

生徒のアピール力を伸ばせていない原因であると考えている。仕事ではいかにうまく

自己アピールができるかが必要なので、特に国際化が進む中、それを練習させるために

どんどん見せろと伝えている。そこをこちらで集計し、単純に努力した回数が多い生徒に

加点をしていくようにしている。


以上は端的ではあるが私の評価の仕方である。ただしここのポイントはやはり試験難易度

をこちらできちんと調整する必要があるという点でもある。ここで、試験ができる生徒の

差をきちんと作り、切磋琢磨させるきっかけにもなるから毎回頭を悩ませながら作成して

いるjudgement_koukunでした!!


2018年12月9日日曜日

起業案①

ふと、思った…。

教育現場の負担は何も部活や残業だけではない。

試験作成や試験印刷、採点、成績処理などが最も負担が大きい気がする。

教科担当であり担任である先生は、生徒の将来を考え行動し、サポートし、

外の試験に勝てる学力をつける必要があります。

外の試験に勝てない生徒が多い学校がいわゆる学力が下であり続けているのは、

生徒のせいではなく、生徒の学力に合わせた試験を作り、そこからヒントを出して

点数を取らせようとしているからではないか。

全てにおいて悪循環ではないだろうか。

先生が試験を作らなくて良くなったら?

先生が採点に追われなくて良くなったら?

先生が生徒の成績を感情に左右されながら考えてつける必要がなくなったら?

先生が試験内容を知らなくなったら?

ついでに試験監督も学校の先生でなくなったら?

先生の指導への質が向上し、如何に勝てる生徒を育てることができるようになるか。

そこで初めてどの先生に本当の力があるのかがわかるのではないだろうか。


ここで起業案をつぶやいてみます。

①試験作成印刷(試験難易度はいくつか用意し、選べるように)
②採点(データ出力込み)
③試験監督派遣:外の試験の疑似体験
④採点ミスには各学校の先生が手直しをしできるようにしておく

こんなことを担当できる非常勤講師や塾の先生を中心にした組織を起業したら
様々な人がウィンウィンになれるのではないでしょうか。

以上、全ての人に意味のある対策を考えてみたjudgment_koukunでした!

2018年12月1日土曜日

私が考える大学の見方

大学選びは自分一人ではできない。ましてや親に迷惑をかけて行かせていただいている。

そういった考え方をしている学生は少ない。だからこそ、毎年、新入生歓迎会など様々な

タイミングでニュースに上がっていたり、中退を当たり前のようにしたりしている。

毎日のように遊んでいて何を考えているのだろうか。学歴に固執しすぎた結果もある

ように感じられる。本当に意味のある学生生活を送れていないから「〇〇大学のくせに」

「△△大学なのに」といった差別的考えが上がっているのではないだろうか。

今回は、少しでもそういった意味のない大学生活にならないための選び方について

綴っていこうと思います。


大学を選ぶ時に大事なのはオープンキャンパスの本当の使い方と実際に大学を選ぶ時に

見るところはオープンキャンパスにはないと言うことを知ることから始まると考えます。

まず、オープンキャンパスで大学の良さ(行きたいと感じる雰囲気)は選べません。

それは化粧したおもてなす気満々の大学を見れば、誰でも行きたくなるでしょう。

そうではないのです。オープンキャンパスでは入れたいからこそ、何でも答えてくれる

担当者がたくさんいます。そこで聞きにくいことを全て聞くために使うこと。

そして、学食のレベルもだいたいタダで知ることができます。そして雰囲気には飲まれ

ないようにしましょう。そして(ごく一部の)学生の活気も多少は見れます。


では、実際に大学を選ぶ時使うのはいつか。それは日常に他なりません。よって、

何もない時に学校見学の予約をとり、実際に自然体の学生や職員、雰囲気を見て、感じて

自分がそこで4年間過ごすイメージを持てるかを見るべきなのです。

その大学に会えればそこが自分にとって選ぶべき進路になります。そういった大学の中で

学力やレベルの高い場所を選ぶことに意味はあるでしょう。そうでないかぎり、

実際には学歴などに本当の意味は見出せないと考えます。そう言うことを伝えない学校

にしか会えた試しがありません。これからの学校は確かに実績は大事ではあるが、

卒業した学生の満足度は度外視しており、全く持って無責任です。本当の意味で自分の

学校の生徒たちが生き生きとできる進路選びを推進できる学校が本当の意味で高い実績を

詰めるのはないかと考えている非常勤講師のjudgement_koukunでした!

2018年11月26日月曜日

進路の考え方②

今回は、進路が決まっていない生徒の進路の考え方について語ろうと思います。

まず、担任の先生などがお話しするのは、ただ「進路を考えろ」「高学歴を目指せ」等

全くもって勝手なことが多いのではないだろうか。私は学生時代、進路に興味がなかった

ため、意味がないオープンキャンパスになってしまったり、勉強することに意味を見いだ

せずに義務としてこなしていただけであった。そして実際に決めた進路は調べ切れていな

かったため、もっと上も行けたのにもかかわらず、下の方の大学に進学を決めてしまっ

た。ただし、後悔はしていない。私についてはまた後日投稿します。

話が脱線しましたが、では、現在何も夢がない生徒は何を考えるべきなのか。

まずは、得意なことだけでなくすべての教科の成績をなるべく高く確保しておくこと!

なぜなら、後で夢ができた時に自分が選ぶ側に立つためである。

それさえできていれば、何をしても問題はないので、たくさん学校生活を楽しんで!!

ただし、オープンキャンパスは適度に行ってみましょう!!理系の上位校と文系の上位校

を3つずつは自分の眼で見ておくことが大事です。雰囲気を見たら興味を抱けたりし、

ひょんなことから夢ができるかもしれません。何でもそうですが、自分からきっかけを

つくりにいかなくては、起きるものも起きません。たくさん経験しましょう!

そして、夢が出来たらオープンキャンパスではない日に見学に行きましょう!!

さっきも書きましたが夢がない生徒は後で選べる側に立つために、文理両方の高学歴を

目指して努力をしておきましょう!それを目指した学習をしていれば何に打ち込んでも

誰も文句は言えません。自分の可能性に勝手に見切りをつけずに、どんなに馬鹿げた

目標であっても挑戦していく必要があります!

最後まで夢が持てないことがあれば、そのまま高学歴な大学に進学し、そうでなければ、

理論上、どこの大学でもいつでも変更が可能であり、どこでも受かる学力がついている

ことになります!!そのための「高学歴」を目指しましょう!!!

judgement_koukunでした!

2018年11月11日日曜日

進路の考え方①

この時期は、どの学年からも進路相談を受けることが増えるjudgement_koukunです。

今回は、進路の考え方について語ってみようかと…。

特に今回は、進路がある程度決まっている場合について語っていきます。

これまでに勤務させてもらった学校だけでなく、塾講師時代に生徒の担任や塾長を始め、

生徒の周りにいる大人は大抵とりあえず、学歴のみを考えて勧めている。

先生や塾長は世間体がある上、それを気にしてばかりで、あまりにも生徒のことを

考えていない。確かに、現状では、学歴が重く受け止められているのも確かである。

現状で、好きなことを選び学歴を捨てた私は、今だに非常勤講師をしている。

しかし、私は、自分の選択に後悔はしていない。むしろ、今を楽しんでさえいる。

しかし、家庭を持つ身なので、チャンスがあればそこに食いつき、安定をしたいとも

考えている。…話が脱線しましたが。

私は、必ず、進路は「将来やりたいことができる」「その大学で自分が4年前後楽しめる

ことがある、想像できる」ことを大事にしなさい。と伝える。

何よりも自分が楽しめていないとその後一生後悔する可能性が高まる。全ての人が大成功

できるわけでは無いからこそ、人生にモチベーションを持たないと幸せになれない。

あとは根本的に誰がその大学でのお金を払ってくれているのかを考えれば皆んな、

真面目に考えるはずだとも思う。

じゃあ、高学歴である必要はないのか。そういうわけでは無い。自分のやりたいことが

できる大学の中で、一番上の学校を狙って普段の勉強をすれば良いと考えているのだ。

その中で一番上に行けるように学習ができていれば、必ず自分が行きたいとこを

選べる側になれる。学校や塾が一番掲げるべきなのは、生徒の在学満足度とか、

本当に行きたい大学に進学した割合とかを乗せていくべきとも考える。

やりたいこともなくなんとなく大学を高学歴だからと適当に選ぶと飲み会のニュースに

取り上げられたり、セクハラでニュースになったり、親のお金を無駄に使って終わること

が多くなってしまう。だからこそ、きちんと考えてほしい。

ただの高学歴を狙わず、意味のある高学歴を狙える生徒を育てたい。

早く専任教師になって担任を持ちたいと考えているjudgement_koukunでした!!

では、どうやって大学を見るのか…これはまた今度語ろう。ではでは…。

2018年10月16日火曜日

生徒とは?

教師側は生徒を軽視している傾向にあると感じる。

なぜなら、生徒がいない職員室での暴言が横行しているからである。

そして必ず、教師側が正しいと考えている人が多いからである。

私立は会社なのだから、生徒は「お客様」である。

だからと言って腰を低く下から様子をうかがう必要はない。

あくまで「生徒」のために物事を考えて行動し時間を費やす。

生徒を馬鹿にするのではなく、どうしたらその生徒が成長できるかを

考え続けなければならない。

以前、講演会を視聴しに行った際には、このような方がいた。

「教師は上官で生徒は兵士でしかない。全てこちらの言うことを聞けばいい。」

すごいの一言に尽きる。さらには、

「急に生徒主体という世の中になり困惑している。」

とまで言っていた。どうしようもない方だと感じつつ、その方が専任になっていない

ことに安堵した瞬間でした。

生徒に人生に関われる私たちは幸運であり、ありがたいことである。

今後の世界の中心になる生徒を正しく導くきっかけにさえなれればありがたい。

「先生」はあくまで字のごとくたた先に生まれて生きていただけの人間に過ぎない。

そのことを踏まえた上で私は今後も生徒と関わり続けたいと考えている。

まずは専任教諭になりたいjudgement_koukunでした。

judgement_koukun

2018年10月15日月曜日

2020年からの教育に向けて

本日は、キャリアビスタ主催の講座に参加してきました。

これまでは、ただ勉強できる人を欲し、育ててきた教育でした。

しかし、これからは、今までの学力は維持したまま、その次のステップに

入らなくてはならない。そもそも、それはなぜか。教育改革以前に、社会の変化がこれに

影響していると言う。現代では、AIが主流になり、誰でもできることは全て機械が

担ってしまうであろう未来が透けて見えているのである。そこで機械に負けない点は

そうぞう(創造、想像)力であると考えているかららしいため、我々、教育者は

評価のしにくい「問い」に触れさせ、思考力などを培わせないとならない。

それぞれの教科に分けるならば、いわゆる文系は全て理数系は出来て当たり前にして

おいてその先に行かなくてはならない。理系なら芸術的センスを意識した柔軟な発想力を

培わなくてはならないだろうと言うことである。

今回の話にも出てきましたが、勉強ではなく、知識を探究、探求的に増やしていくために

全ての教科のつながりを考えながら見て行く必要がある。その力を生徒につけさせる

ためには、こちら側も教科の壁を壊し、力を合わせる必要があると言う。確かに

必要なことである。私は、今後、もっと自分の興味の向くまま他の教科や他の職種の

方々との関わりを大事にして行きたいと考えさせられた一日になりました。

judgement_koukun

2018年10月13日土曜日

教育者とは?

学校で非常勤勤務しているjudement_koukunです。

教育者としては、卒業大学もたかが知れている上、専門的知識もそこまでないが、

どこの学校に勤務してもあまり嫌われることもなく生徒たちから様々な質問を

受けて対応している今日この頃です。

今日はこんな話を聞きました。

「教師は、授業内で全て完結し、放課後などの対応をしているようでは一人前ではない」

少し内容は補正しましたが概ねこのようなことを言われました。

果たして、そう考えている人が本当に有能なのでしょうか。

全ての人に理解させる授業は大事ですが、その後も自主的に勉強して理解できなかった

ことを聞きにくることが問題なのでしょうか。

さらに言うならば、それを対応する非常勤講師は無能なのでしょうか。

専任の方々は仕事があり忙しい中、非常勤講師は暇でいいと言う方がいますが、

それは、どうなのでしょうか。わざわざ放課後まで残って生徒のためにゼミを

開くことは生徒にも「忙しい」先生にとってものいいことでしかないように感じます。

しかし、そこに賃金を払うのは「泥棒」のような扱いをしてきます。

そんな学校運営で今後この学校はどうなるんでしょうか。

ちなみに、私の授業は有能な先生方とは異なり、端的で全員が最低限の知識と興味を

持てるような授業を心がけており、進行速度が1.5倍速はゆうに超えていますが、

上のランクのクラスを教えている方々より全体的に平均的に伸び、生徒の中には全国の

高校生の中でその教科だけで1位を取れる生徒が出る上、毎年、その年に始めた文系の

3年生の生徒が理系の大学にセンターで8割以上とり合格を出せているのが現状です。

まぁ当の学校は全く気が付いていませんが…。

私以外にも非常勤講師の先生方は素晴らしい方がたくさんおります。

無駄に頭を硬くしているよりももっと柔軟にもっと利口に経営を考えるならこそ

見るべき点がたくさんあるのではないでしょうか。

教育者とはどうあるべきなんでしょうか。

私個人では、教育者は「生徒のためにどうするか。」「生徒のためにどうあるか。」

「生徒のためにどうなるか。」を考えるべきだと考えています。

決して「自分が楽をするため」「金を儲けるため」「何となく教師をやっている」では

ダメな気がします。本当に教師になりたいと考えている人が非常勤講師に多く、

本当の意味で、教師であろうとしている人は専任教諭には少ないような気がします。

最近では、よく性犯罪のニュースに教師が犯人として出てきますが、その程度の人が

専任教諭になれて、真面目になりたい人が日の目を見れない昨今、考えることが多い。

全ての先生に該当するわけではないが、非常勤講師として東京近郊でいくつか働いた

中ではそのように感じたため、ここで書かせていただきました。

こう言う内容でしたら、思いを書くだけなので続けられそうです。

これからもよろしくお願いいたいします。

judgement_koukun