2019年1月23日水曜日

肯定主義

本日は、肯定主義について書いて行こうと思います。

これは、かの「やる気スイッチの塾」で講師をしていた際に自分の糧になった一つの

教育方針です。それは、「肯定」すること。ただし、明らかに間違えていることなど、

人間的にマナー違反になることなどは同調せず、生徒の考え方を正しい方へ誘導して

行くように話を聞きます。ここでもあくまで「否定」はしません。

この肯定主義というものは、ただ、「否定」することだけは絶対にしないことを

意識していれば、意外と誰でもできることだと考えます。


私がしている「肯定」は勉強面では、生徒一人一人の頑張り方はできることは

当たり前ではあるが、皆異なります。だからこそ、それぞれの努力を平等に努力した

分だけきちんと「肯定」します。


これを意識しているためか、生徒からは「私は、よく先生に嫌われるのに、先生は違った

から嬉しかった。」「先生だけは、いつでも快く対応してくれた。」などと言われること

がしばしばある。さらには、私が担当する生徒は必ず成績は伸びています。

理由は単純で、「学習するのが楽しい」と思ってくれたり、「やった分だけ伸びた。」と

いう成功体験を経ていくため、クラス内順位や教科順位、学年順位、全国順位と生徒に

よって一部分だけでも上位層に食い込むことばかり起こる。

直近でいうと過去2年は、毎年、文系で3年生から「生物」で受験したいと言ってきた

生徒は「センター試験」で8割を超えていく。さらに今年は始めて理系も持ったが、

生物だけで全国模試で1位をとったり、「センター試験」では98点をマークしてきた。

結果から自信を持って言えるのは、生徒を認めることが生徒の学習意欲をあげ、

平等に「肯定」することが円滑に物事が進む近道だ。

私は生徒のやる気を出させることだけは、若輩者にしては抜きん出ていると勝手に自負

している。勉強をするのも試験を受けるのも結果を出すのも生徒である。生徒の獲得した

点数は生徒の努力であり我々のおかげではない。我々の仕事は如何に生徒自身で考えて

行動し、努力するきっかけを作ってあげられる授業作りや雰囲気作り、対応の仕方を

その時代に合わせながら考え続けることではないだろうか。


長々と書いてみましたjudgement_koukunでした!!

2019年1月20日日曜日

暗記科目

本日は、暗記科目について書いていきたいと思います!!

ここで今回取り上げるのは、「生物」は何故、暗記科目と言われるのか。

何故、生物は理系ではないと言われるのか。正直に言って、理系の中でダントツで

難しい科目ではないかと最近、よく考えています。その話に入る前にまずは、表題に

ついて語ります!!

「暗記」とは、「覚えること」ですが、何故「覚える」のか、それは、単純に

知らないと、何も解けないから。理解できないから。そして、ダントツで生物は

知らないことが多い。何故か。日常的に使わないことがたくさんあるからだ。

化学や物理は確かに解くのは難しいが、やっていることは「計算」が主体だ。

そうすると幼少期からずっと「算数」や「数学」で様々な計算を学んでいるのだから、

やり方だけわかればあとは機会的にできる。それに引き換え、生物は、高校で本格的に

学ぶことが多数ある。よってまず「覚えること」がたくさんありすぎる。

そして、それを覚える程度で高校1年生で「基礎」が終わるため、暗記科目で終わる。

だが、よくよく問題を考えると、「覚えた」上で、「文章読解力」は必要であるし、

「化学的計算力」も「物理的計算力」も「数学的計算力」も当たり前のように使用

しなくては解けない問題が上位校に必要な学力である。

そう考えるとどうだろうか。「生物」は暗記科目なのだろうか。

英単語や漢字にも言えるが、何故「暗記」するのかと考えると「知らない」からだ。

知れば当たり前に使用しているが、それは知ったから使えているだけで、

この世の全ては「先人」の知識をまず「暗記」してから使っていることを考えると

「暗記科目」というのは、本来ないのではないだろうか。

生徒たちに「暗記科目」と考えさせている時点で、教師はいらないと考える。

何故なら暗記は一人でできる。だから楽しくもなんともない。

興味を持たせられる楽しいものを私たちは貪欲に求め続けて、こちらが授業して

やっているという精神をまず無くさなくては、この「暗記科目」という考えは

なくならないのではないだろうか。そのセリフを言われた教科はつまらないのだ。

と、語ってみました。このまま語ると、ただ長々としてしまうので、この辺で

終わらせます!!judgement_koukunでした!!